こんにちは。11月末に行った鹿児島旅の朝散歩で田代安定生誕地に出会いましたが、この田代安定の著書というのがなかなか残っていなくて古書で1945年刊の「沖縄結縄考」を購入するかなぁと思ったりもしたのですが、単身赴任の身で保管場所には余裕があるとはいえ、どんどんそういった本が増えるのはまずいので図書館で検索。なんとか彼の著書の一部を掲載した本が見つかり、読むことができました。 写真の本に収載された著作は、会報に載せられた資料のような作品でしたので、なんと手書き。久しぶりにきれいに書かれた文字を読ませていただきました。 鹿児島#11 朝散歩、田代安定生誕地に出会う@鹿児島市内http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-2037.html
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おはようございます。 昨日も仕事で少し遅くなってしまいblogにまでたどり着かずに寝てしまいました。昨日朝のnewsで半藤一利氏の訃報が出ていました。昭和史のノンフィクションを多く残されていますが、「日本のいちばん長い日-運命の八月十五日」が最も有名な本ではないでしょうか。この作品は、終戦の玉音放送までの一日を描いています。私は映画で見てからこの本を読む機会を得ました。 この長い一日があって今の日本があるということを思いながら、今一度、この作品を再読したいと思います。 ご冥福をお祈りいたします。 前回のbook のentry↓ Book#23 こどもたちのオキナワ 1955-1965 山田實写真集http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-2014.html
こんばんは。 単身赴任宅の自室でblogを書いていますが、角部屋でもないで回りは空気の層で守られているはずなので冷えにくい構造だとおもうのですが、それでも空調をつけていないと寒くなってきました。 今夜のblogネタは写真集です。沖縄一人旅で「おきみゅー」に行ったって書きましたが、その時にMuserum shopで買いました。山田實氏の写真には子どもたちへの優しい眼差しがあり、子供たちがどう感じるかなと思い、沖縄のお土産でこの本を買って帰りました。 息子と娘がどのように感じ取ったかは、わかりません。大人になった時に、もしかしたら自分たちに小さな子供ができた時かもしれませんが、ふと思い出してくれるような気がしています。 前回のbookネタはこれでした↓ Book#22 Long Litt Woon「きのこのなぐさめ」http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-1954.html
こんばんは。2週連続で東京出張もありましたので、この秋の4連休は東京の自宅で過ごしております。 さて「きくらげ」の話を書いたのできのこ繋がりということで、この本。Malaysia出身の社会人類学者Long Litt Woonロン・リット・ウーンによるきのこ本です。まぁ、きのこ本と言っても、その本のタイトルから予測される「喪失と再生」と「きのこ」の物語です。国際結婚した夫との突然の死別と「きのこ」とそれを取り巻く人々との出会いの物語です。 食べられるのか、毒があるのか。香りはどうなのか。分類と採取、料理。120種にもわたるきのこの話が語られています。きのこ好きならどこかで聞いた話、どこかで読んだ話との交錯がある種の眩暈さえ覚えさせてくれます。これこそ、きのこの魅力なんだろうな。
Book#20 ブックカバーチャレンジ? Day2 二冊目「武士道」新渡戸稲造 著 矢内原忠雄 訳http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-1888.html に続いてのDay3。 こんにちは。今日はこのblogネタがupされているときは外をうろうろしています。先日東京に帰った時、息子が芥川龍之介の「羅生門」を読んで、次に夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んでいるといっていました。小学生高学年、私も有島武郎や芥川龍之介を読み始めたのはそれぐらいの年頃だったかな。息子の成長が楽しい。しかし読んでいるのはスマホ。青空文庫で読んでいて縦表示にしているので、それなりに読みやすい(私も使っているので)。ルビがふってあって丁度いいのでしょうが、実際の紙の本で指ざわり、触り心地とともに読んでもらいたいな、と思った次第。子どもの頃、ちょっと背伸びして難しい本を読んでルビがふっていなくてなんて読むんだろうと想像して、辞書をひくということなどをすることで学んでいったので、少し不便なことの方がいい時もあるんではないかとも思いますね。 ************** さて、Day3はですね、「市民の反抗 他五篇」 H.D.ソロー著 飯田 実 訳 です。 Henry David Thoreau(1817-1862)の本は、1970年代~90年代に環境問題に興味のあった人なら、一度は手にしたことがあるんじゃないですかね。私も御多分に漏れず高校生の頃に、"Walden; or, Life in the Woods"に出会いました。たぶん、有吉佐和子「複合汚染」や石牟礼道子「苦海浄土」、Rachel Louise Carson"Silent Spring”という流れで読み進んでいく中で、Thoreauに出会ったのだと思います。いやぁもっと早く出会っててもおかしくない作家ではありますが、、、natureというものを強く意識し始めたのが高校2年生の頃じゃないかな、と思っています。 複合汚染は、夏休みの指定図書の一つだったような記憶があります。確か他は「福翁自伝」だったような。福翁自伝も読んだな。適当に環境がらみの本を読んでいたような気がします。丁度、そのころ好きな女の子が、これまた同じようなことに興味を持っていた、という「副次的な」理由もあったような気もします。いや、絶対そっちが先か。バイアスがかかるのが人間の脳ですから、、、うふふ。 さて、2日目は「太平洋の架け橋とならん」とした新渡戸稲造ですが、今日の本は新渡戸稲造がごとく太平洋を渡ってアメリカを舞台とした本です。ThoreauのWalden湖畔での2年2か月にわたる自給自足生活の記録がWaldenで、内容は自然だけでなくていろんな思索にわたっていますので興味がありましたら、岩波文庫版ででもお楽しみください。まぁこのWaldenがあってアメリカにおける自然保護の先駆者の一人として認識されていて、nature writingの作家と位置づけられていますが、決してnature writingにとどまっておらず、どちらかというと思索者という位置づけですね。 で、昨日の「武士道」から繋がるkeywordはカーライルとしていましたが、これは大英帝国の歴史家・批評家であるThomas Carlyle(1795-1881)の事。「武士道」の訳者序にて矢内原忠雄が「原著の英文はカーライルの影響が著しく認めらるる文体であって、、、」とある通り、新渡戸稲造はCarlyleの影響を受けています。札幌での同期・内村鑑三だって同じく影響を受けているし多くの人に影響を与えた人です。勿論現代人にだって影響を与えています。 で、H.D. ThoreauとCarlyleを繋ぐものが何かというと、H.D.ThoreauはCarlyleと同時代人なんですが、彼が唯一文学批評をしたのがこの本にも収録されている"Thomas Carlyle and His Works"(1846)。これ、さっき書いたWaldenで気の向くままに引き籠っていた(前向きな籠りですな)時に書いています。繋がったね!ブックカバーなんちゃらに従って、本の内容については書きません(ネタバレ防止やね)。 ブックカバーとなった「市民の反抗」というtitleは、、、どうも今の時代にも生きる内容ですな。思索者の本なのでね、思索があっちに行ったり、こっちに行ったりとするんですけど、アメリカの「wildだぜい(えー?それ?)」、を理解するためには、H.D.Thoreauは齧っておいていい本だと思います。 さて、Day4への予告。Keywordは「歩く」。あ、となりのトトロは出てきません。
こんばんは、いえ、おはようございますの時間になって今いました。ちょっと寝落ちしてしまいました。FBで書いたときと同じ状況に驚くぐらいです。おはようございます。 ************** Day2 二冊目「武士道」新渡戸稲造 著 矢内原忠雄 訳 一冊目「静かな大地」池澤夏樹は、北海道を舞台とした小説でしたので予告としてkeywordを「北海道」としていました。 Book ブックカバーチャレンジ? Day1 一冊目「静かな大地」池澤夏樹 著http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-1880.html 北海道で武士道?まぁ簡単なんですが、答えは著者である新渡戸稲造。盛岡出身ではありますが、あの札幌農学校出身です。そうあの羊が丘で「どーん」って言っているVladimir Leninレーニン像、じゃなくてWilliam Smith Clarkクラーク像で有名な札幌農学校です。W.S.ClarkはMassachusetts農科大学で学長をやっていた間に、1年間の休暇を利用して、札幌農学校にかかわった人物で、札幌滞在はなんとたったの9か月です。知ってました?あ、知ってましたが。因みに日本政府への紹介者は新島襄です。 因みに私の大好きな作家A.C.クラークの綴りはArthur Charles Clarkeで最後に"e"が付きます。なんの話や。 さて、9か月滞在したClark博士と交わりを持ったのは一期生のわずかなメンバーですから、二期生である新渡戸稲造は直接は教えを直接受けていません。ですが、Clarkの“Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.”をそのままに、彼は「我、太平洋の架け橋とならん。」としたんだからすごい人ですな。 その新渡戸稲造の書いた本「武士道」。たった150頁の薄い本ですけどね、読み継がれていて、しっかりと「古典」ですね。 同じぐらい薄くて読んでいて眩暈がするほどの重量感のある本といえば「茶の本」。明治の同時期にこんな本が出ているのいうのは衝撃的ですし、明治の空気感を感じるにはおすすめの本たちです。 中身は書かないのがこのチャレンジだそうなのでこの辺で。 さて次回予告。keywordはカーライル。
おはようございます。今日は金曜日ですね。今日はちょっと盛沢山な日なので朝は早めの行動です。さて、今朝のネタはFaceboo*(FB)でバトンとして渡された、コロナ巣ごもり中の遊びのようなものです。折角なのでblogにもupしておこうと思いまして、少し変えてupします。 FBにはですね、blogの更新記録か、飲んだくれた姿しかupしていないような感じなのですが、ちょっと大学の後輩にできますか?とふられましたので、ブックカバーチャレンジやっておきます。ようは自分の好みの本を一週間分7冊紹介、ってだけの話です。それなので「えーよ」と軽ーくうけあいしたんですけどね、そういえば私、今、単身赴任先でコロナ足止め食らっていて、本当に好きな本たちは東京の自宅にある、ということに請け合ってから気が付きました。 まぁ、偶々ほんの一部持ってきていた本と、大阪で買った本たちの中からチョイスします。 ************** Day1 一冊目「静かな大地」池澤夏樹 著 いやー、90年代に大学生をやった人なら池澤夏樹やったら「スティル・ライフ」やろー!とか、「母なる自然のおっぱい」でしょ?という方もいらっしゃるかもしれませんが、今回は池澤夏樹さんの生まれ故郷である北海道から始めよっかな、と思いましてね。お父さんは福永武彦、お母さんは原條あき子、という文学一家です。福永武彦の「草の花」は東京の家にあるから、東京に帰れるようになったら、持ってこよっと。 さてこの「静かな大地」、650頁もあるんで、京極夏彦か!って思うほどの分厚さですけど、物語に引き込まれてどんどん読み進んでしまいます。やっぱりアイヌの文化に魅せられちゃうのかな。この本は、創作の物語なのですが、主役である宗形家にはモデルがあって、池澤夏樹さんのお母様(原條あき子)の家系の先祖がモデルです。先祖の事績と創作が混在した物語であり、江戸末期から明治を中心に昭和までの物語となっています。入植者とアイヌの物語は複層的で、静かにそして激しい感情の流れとなってほとばしり出た物語です。何度も読んでみようと思う一冊です。 Da2への予告、Keywordは「北海道」。
こんばんは。今日は少し肌寒かったですね。 東京から大阪に移動しそのあと岡山に向かったのですがいずこも寒かったですね。COVID-19のnewsで毎日毎日感染拡大の話があり、じりじりとした焦燥感というのか困惑が募っていきますね、、、こういう時こそ落ち着いて行動、と思います。そういえば先日、大阪のとある本屋で「感*症フェア」って書いている本屋があって、、、いやぁ、医学書のコーナーですから言わんとすることはわかりますが、こういった時の言葉選びのセンスとしては悪いぞ!と思ったりして「本屋ともあろうものが、、、」なんて思ったりも、、、。 さて山口ネタをやっていて中原中也に来たので、私的にはその友たる青山二郎に思考がジャンプ。中原中也と青山二郎の関係性が面白いなぁと。中原中也がとびぬけた才能を持つ人であったことが分かります。青山二郎の「目の引越」の中にも中原中也との想い出が出てきます。酒を飲み喧嘩をふっかける中原中也。面倒と思いながらも友であり続けた青山二郎。中原中也は若くして死んだことで人の記憶に永遠に残ったと思われがちだけど、青山二郎ら残された者たちの喪失感と友情が無ければ我々の記憶に残らなかったかもしれません。中原中也の死後に彼の本を出版にこぎつけた彼ら友の必死なる想いが無ければそうはならなかったのではなかろうかと。青山二郎という天才が、中原中也という天才を見出していたことが奇跡的でもあるし良かったなぁ!とも素直に思います。 青山二郎の「目の引越」は2006年に中公文庫から限定復刊した際に即購入しています。確か今はないJR神田駅の駅前の書店だったなぁ。 2007年6月29日(烏有洞:今のblogの前のblog) 我が家の一冊:「眼の引越」青山二郎著http://uyudo.blog16.fc2.com/blog-entry-338.html ではこんな風に書いている。 青山二郎(Aoyama, Jiro 1901-1979)という人が、わかる事はない。希代の目利きで骨董の完成者、というふうに評されたとしたら、もうその時点で、その言葉からはするりと抜け出ているような人である。 小林秀雄、永井龍雄、中原中也、河上徹太郎、大岡昇平、白洲正子といった昭和の文人との交友は「青山学院」といい、多くの人がこの人に引かれた、と言えばどんな人?って思う。 この人の眼前を通ってきた、事物を通して感じてみよう、という「あさはか」な試みが「青山二郎の眼」展だ。先日僕も妻と一緒に見にいってきた。5月には新潟でやっていた巡回展で、新潟で見そびれていたので、仕合せだ。「眼は言葉である。」 そういえば、この青山二郎の「目の引越」の表紙の絵は、元々は中原中也の本の表紙にしようとしたんだっけ。
こんばんは。飛び石連休で明日はお休みですね。一つ前のentryでここのところ家にある本や図書館で借りてきた本などをゆっくり目に読む日が多かったですね。今晩も少し時間をとりたいなと思っています。 さて武生でおろしそばを選ばなかった事を書いたばかりですが、太田愛人さんのこの本にも武生でカラ口大根に生醤油をかけて蕎麦を食べたことが書かれています。この本のもととなった教会からの「辺境通信」を書いていらっしゃったころは長野に暮らしており、「長野の北でできるカラ味の強い北山ダイコンに生醤油をかけたのを梅雨にして食うのが、、、」と記されています。確かに蕎麦の食べ方として素材の本物の味が直接的に舌に訴えかけてくる野趣に富んだ食べ方ですね。盛岡生まれである作者にとって蕎麦は親しみのある食べ物なんでしょう、そして本物の味は稀にしか体験できなくなっている不幸を痛感せざるを得ないと訴えています。1973年のことです。その点、今はどうでしょうか。あまり状況は良くなっていないような、、、。 この本はもう何度も何度も読んでいる本で、いつぞやは上着に入れたまま洗濯してしまった為、私のこの蔵書は水を吸って波打ってしまっています。奇麗に乾かして読めるようにはなりましたが、ごわごわっとした手触りが独特の本になりました。outdoorに持っていくのにはうってつけの本になりました。primitiveでintrinsicなものを追い求めていくことを考える時、この本を外で読むことはとても相性がいいような気がします。 太田愛人のこの本、もし手に取られることがありましたら四季を楽しみながら読ンで見てください。そしてこの本を読んでGeorges Duhamelデュアメルの「我が庭の寓話」に導かれていくのです。 前のbookのentry↓ Book#16 眼ある花々 開高健http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-1727.html
こんにちは。今日は台風19号で外にでることを控えていますので、家でvideoみたり本を読んだりしています。読書の秋ですしね、少し家でおとなしくしておきましょう。 表題の本は夏にbook*ffで100円棚で見つけて買った本です。開高健の本はこれまでにも幾冊も買っているけれども、友人に薦めてそのままあげてしまったり実家に置いてあったりなどで、手元には数冊がある程度です。そしてまた単身赴任などしているものですから、そぞろに買ってしまいまたまた本が増えてしまいます。時折、開高健の作品を読みたくなったりして古本屋に足を運びその中から一冊を選んで買ったりして、、、。 この作品は1972年の1月から12月に「婦人公論」に連載されたエッセイで、我が母の世代などは当時読んだかもしれません。薄い一冊で95 75年初版で私が入手したのは1992年の第9版。花に託された語りは強い「生」を感じさせます。特にベトナム戦争を取材した開高健の文章からやってくる蒸したような湿度を私は愛しているのだろうな。 その一番初めの作品「君よ知るや、南の国」では、water hyacinthホテイアオイが黄色い大河メコン川を塊をなして流れていきます。この川は人々の喜びも悲しみも流してきたのだろうな。 そういえばこの夏に訪れた奈良でもホテイアオイが群生し水場を埋め尽くしているのに出会いました。これと同じ花が南の川に今も流れています。この秋はこの本から始まる周辺の物語を読んでもいいな。 <追記>記載ミスがありましたので修正しました。2019/10/14
こんにちは。今日のお昼ご飯は何でしたか? 今日は本ネタ。初版年月日、2019年02月01日。福音館から出ています。先日図書館で読んで美味しそうだなぁと思った一冊。「しゃっしょっしょっ、しゃっしょっしょっ」。 音があふれています。料理を美味しくするのは、こんな音たちなのですね。 この本の解説に食感を表す日本語は400語以上あると記されていました。その7割が擬音語・擬態語(オノマトペ)がしめているそうです。音を聞いて想像しただけで、美味しい料理を連想してしまう。まさにsizzleシズル感。今週末はオムライスを子供と一緒に作ろうかな。 前回の本ネタはこんなのでした ↓Book#14 木下杢太郎詩集 http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-1561.html
こんばんは。秋の夜長?読書の秋です。皆様はどんな本を今読まれていらっしゃいますか。お邪魔させていただいているfumiさんのblog*日日是好日*で、先日、伊東の旅行がupされておりました。 木下杢太郎に触れられていて、翌朝の通勤での読書は木下杢太郎詩集を選びました。なんでもきっかけですね。故に今週は、木下杢太郎の作品集を読んでいました。この詩集は、Abb´e Pr´evost のマノン・レスコーの翻訳者の河盛好蔵の選です。私が14年前に神田の古本屋で買ったのは昭和33年の第3版です。 木下杢太郎については少し思い入れがあります。というのも2004/7/19に初めたblog(当時はteacupを使っていました)で書いたentryが木下杢太郎詩集でした。 <2004年7月19日> 神田の古本屋街にて木下杢太郎詩集を見つけました。均一台(100円)の端っこで埃を被っていました。安い、買いです。 木下杢太郎(Kinoshita, Mokutaro;1885~1945)(本名;太田正雄)は、静岡県伊東の生まれで、詩人、劇作家、医学者という多才な人。1908年に北原白秋らとパンの会を結成。文学での業績もさることながら、医者としても日本における医真菌学の祖でもあるそうな。(水虫とかそういった菌の研究です。) 絵もさすがに上手く、日本の敗戦が濃厚になりつつある1943年3月から没年まで大学構内、庭、路傍の野草の写生を続け、後に「百花譜」として刊行されています。(伊東にある木下杢太郎記念館*1で絵葉書が売ってます。) しかし、何でも興味があったのでしょうね、晩年の作品「すかんぽ」*2では、食べられる植物を書き綴っています。 「ハコベ。ウシハコベ。タンポポ(葉と根と)。オニタビラコ(葉)。春如※。タチツボスミレ。枸杞(くこ)(葉)。イロハカヘデ(葉)。山吹の新芽。藤の芽と蕾。榎(えのき)の新芽。ギバウシユ。ナヅナ。ヤブカンザウ(新芽)。ツハブキ(莖)。雪の下の嫩葉。ミミナグサ。スズメノヱンドウ。ヒルガホの嫩葉。ツクシ。アカザ(嫩葉及び果實)。カタバミ。ネズミモチの實(炒(い)り粉にしてコオヒイの代用)。ヨメナの新芽。椋(むく)の新芽。桑の新芽。柿の新芽。オホバコ。イヌガラシ。オホバタネツケバナ(水上の葉)。ヰノコヅチの新芽。トトキ(ツリガネニンジン)。スズメノヤリ。イヌビエ。ユヅリハの新芽。ジヤガタラ薯の新芽。ハマビシヤ(ツルナ)。ツユクサの嫩葉。スベリヒユ。クサギの嫩葉。スミレ。ツボスミレ。カラスノヱンドウの莢(さや)等。」 小生の友人にもいますよ、野草やら木の芽やらを食って、食って、食いまくっている輩が。 <すかんぽの最後の部分> 「數日後の夕、寄道してその少許(せうきよ)を採取し、クロオルカルキとか云ふもののうちに漬くること一日、之を短く切つて、まだ廚房に少し殘つてゐた油と鹽とを點じて食べ試みた。そしてその酸き味のあとに舌に觸れる一種の※澤(きやうたく)に邂逅して、忽然として疇昔(ちうせき)の情を囘想したのである。 すかんぽの話は之を以て終る。一箇月以來胃腸に疾(しつ)を得、可食の雜草からは遠ざかつてゐる。」 この後、そのまま入院し60歳で胃癌のため逝去しています。 *1<木下杢太郎記念館の場所> HPが見当たらないので、静岡県のページから。 伊東に行くなら、ぜひ伊東の駅前をぶらぶら散策することをお勧めします。(栗蒸羊羹がおいしい。) ↓ ****当時のwebsiteはもうなくなっていました(2018年9月21日確認) *2<木下杢太郎の作品> 青空文庫で公開されています。(これはもちろん生きています) ↓http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person120.html <以上、14年前のentry> その当時も栗蒸羊羹を推していましたね(笑)。大学の同級生の実家が伊東にあり、お邪魔した時に進めてくれたのが栗蒸羊羹でして、その時の味が忘れられないんだろうな。もう20年近く前の話です。Nさん、H君、元気にしてるかなぁ。 fumiさんのblog↓http://hime1123.blog55.fc2.com/blog-entry-854.html
通称、軍艦島。長崎県長崎市にある端島はかつて海底炭坑があった島で、TVなどで取り上げられるから知っている方も多いでしょうね。1810年頃に石炭が発見され明治維新前も佐賀藩が小規模の採炭を行っていたそうですが、維新後の1890年から本格的に採掘がはじまり1974年の閉山まで採掘され、最盛期の1960年にはこの島に5300名もの人が住んでいたそうです。 島自体が6回もの埋め立て拡張を行ってできた人口の土地の上に人々は病院や学校、商店や遊技場、神社や寺など島だけですべてがまかなえるような施設を整えていったのです。それが国のエネルギー政策の転換から炭鉱のは閉山を余儀なくされ、用済みとなった島からは閉山の3か月後1974年4月にはすべての住人が島を去り無人島となりました。 今回の写真は、写真家の小林伸一郎さんが2017年長崎市の特別許可の下とられた作品を含む187点を収録した写真集で、人々の生活の残骸、信仰の跡などが収められています。そんな人工物の上に、どこからかやってきた草木が生えている写真は、印象的でした。 人の意思に造られた島が、人の意思によって打ち捨てられ、そして自然に還っていくその姿は、私には美しく見えます。
やっと週末ですね。この週末はどんな週末になるでしょうね。私は、土曜日は家族と海外からのお友達と過ごして、そのあと深夜便でVietnamに出張に向かいます。 食べ物や飲み物で沖縄な気分を盛り上げてきていますが、昨年の沖縄旅行で行けなかった史跡を少しおさえておくかなぁと、図書館で史跡が紹介されている本をかりてきました。さすが歴史の山川出版社だけあって、細かいー。これで予習して7月の沖縄に備えます。高校の時は日本史選択をしました。(世界史もかじってはいるので大まかには覚えていますけど)やっぱりなんといっても山川だよなぁ、、、。あの頃は2冊の本を一冊は読めるよう、もう一冊は時代別に、本をバラバラに分解して持ち運びが便利なようにして持ち歩いていましたねー。 しかし、日本史には琉球史はあまり出てきませんよねえ。覚えた記憶も少ないですし、、、、。ここ数年いろいろと琉球本を読みながら琉球史を追いかけています。
2016年末。夏目漱石没後100年として*HKが組んだ番組で、姜尚中さんは「漱石は近代化の行く末を見抜いていた」と言っていた。明治維新で国のありようを大きく西洋を模倣し近代化に定めた日本から英国に留学した漱石が体験したものは、西洋近代の光と影だった。その陰が漱石の作品には見られる。番組ではその漱石の姿を追っていた。 番組の中で、1909年ハルピン駅で起こった安重根による伊東博文暗殺をどのように夏目漱石が捉えていたのかを追っている。その中で黒川創さんとの対話があった。黒川さんの作品「暗殺者たち」では、この伊藤博文暗殺と翌年の大逆事件などを含めて「暗殺者」とは何かを追っている。何をもって暗殺者とするのか。この問いの答えは、、、。 近代化を邁進する日本と日本人にとって暗殺者たり得たものは誰なのか。大逆事件の幸徳秋水や菅野須賀子、そして「谷中村滅亡史」で鉱毒事件を告発した荒畑寒村ら、この時代の軋みの中で生まれた人物たちの行動を追いかけている。 この作品を通勤電車で読んだ。
先日は端午の節句でしたね。一つ前のentryから続いてのネタですが、、、。2018年2月に出版されたばかり、近所の図書館に入りたてほやほやの本でネットで見かけてすぐに予約したら、他の方の予約はゼロ。いやぁ、ラッキー。 鯉のぼりの原型は江戸中期頃だそうです。少し遡って江戸初期から端午の節句には幟や旗指物などを飾る風習があり、これを江戸中期になって町人が真似るようになったようです。この幟に描かれたのが登龍門の「鯉の滝登り」で、それを鯉の形にしたものが鯉のぼりの原型。 鯉の形をした鯉のぼりの初出資料である「続清鉋(ぞくきよがんな)」では鍾馗(しょうき)を描いた旗に付属する小旗のような描かれ方です。これが延享2年(1745年)で、そののち「東都歳事記」天保9年(1838年)では鯉型のものを竹の先につける、これは江戸の風俗であると書かれています。意外と新しい風習ですね。 この本はそんな歴史から、明治時代~平成にかけての各地での鯉のぼりの特徴を追って示されており、和紙から木綿、そして合成繊維へと素材や製法が変化していく様子を数多くの写真で追ってくれています。まあ、これだけの鯉のぼりの写真を見ることはまずないでしょう。さすが業界団体が作った図鑑です、お見事!
今回は我が家の本棚に長くいる漫画本です。関川夏央さん(1949-)・谷口ジローさん(1947-2017)のタッグでの五部作ですが、このシリーズは2001年に第2回手塚治虫文化賞をとっています。夏目漱石と同時代人たちの人間模様を描いた名作で鳥取県出身の谷口ジローさんが書いた本というのもあって好きなのかもしれませんが、、、。 この本は五部作の第三部目。先日4月13日にupした石川啄木の放浪時代を描いた作品です。まぁ啄木の駄目っぷりと、その後残される作品の純度の高さのギャップが啄木という稀有な作家を作家たらしめたんだろうな、ということが伝わってきます。この本を持って啄木が一時期すごした函館まで行ったのは一昨年の夏でした。 Days 小石川の桜~石川啄木http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-1413.html
この手の薄い冊子の本は外に持っていくのに便利ですよね。この夏も子供を連れて海辺に行く予定なので春から気分を上げていくために借りた本です。まぁ簡単な内容なのでざざざっと流すために見た本、とでも言いましょうか。海辺の漂着「ライター」シリーズは、マニア心にぐっときました(笑)。そう海を歩いていると、ハングルも見るし中国語もよく見かけますからね。 後ろの方のページで参考施設がのっていて、便利です。ああ、もう気分は海!
娘が図書館で選んできた本です。Vera Brosgol(1984-)さんの作品です。2017年出版ですから最近の作品ですね。そしてこれは2017年米国の児童図書館協会ALSCのCaldecott Honorをとったそうですよ、シールはってあるし。 "Leave Me Alone"と言いたくなるような大家族にすむおばあちゃんのお話で、熊には、、、のところでは「くすっ」(笑)。私には面白かったですけど、娘はSo-soって言ってましたね。 Vera Brosgolさんは若い世代(私から見て)の作家さんで私と一回り違う彼女はMoscow生まれ。5歳の時に合衆国に移ってきたそうです。それで偶然ですが我が家が大好きなPortland,ORに住んでいるそうな。へえ!この4月に新作Be Preparedが出たのでどこかでまた買いたいな。 しかし、地元の図書館、やるなぁ! Vera Brosgolさんのwebsite↓https://www.verabee.com/
娘が選んできた本。Pat HutchinsことPatricia Evelyn Hutchins (1942–2017)さんの1976年の作品です。スタンプを見ると近所の図書館には1994年に入った本でした。5.95ポンドで94年当時の156円で換算すると930円ぐらいの本。偶然当時の値札まで一緒にカバーシールの中に張り付いていて2,150円。まぁ、輸入書籍ですからね、当時そんなものだったかもしれません。 子供がお母さんからのお使いで買い物に行くのですが、、、。面白いですよ。途中、今ならちょっとNG(となってしまうだろうな)な表現もありますがいい絵本ですね。彼女は英国図書館協会からKate Greenaway Medalを1974年に受賞しています。その年の最もよかった作品としてThe Wind Blewが選ばれています。 この本を借りた日にわたくしは、卵を買ってくることを忘れました。
中公文庫から2018年2月に出された復刻版です。図書館にある新刊乃至新規購入棚を見るのも好きですけど、この本は先日、文庫棚で出会いました。もともとの1984年に講談社現代新書から出た本は読んだことがありませんでした。1984年でしょ?まだ中学生になったばかりのころですからね、あの頃はoutdoorとかそんな言葉知らなかったしね。 山梨県南巨摩郡のご出身の芦沢一洋氏(1938-1996)が東京に住んでそこから足を延ばしていっての逍遥。ちょっと古くてでもそんなに遠くない時代を感じるところもまたおっさんにはちょうどいい。「合衆国にBLTというランチメニューが、云々」、あは!都内の公園歩きも、私がうろうろしているところと合致していて、なかなか楽しい。
どんなGWをお過ごしですか? 今回は本ネタ。よくお邪魔しているel_desviosさんのblog で子供への読み聞かせの本をあげていらっしゃったので、私も同じような感じで。子供に読んだ、子供と読んだ、子供が読んだ、、、そして私が読んだ本です。 先月末書いた新潟日報ネタでしたが、その日の新潟日報のコラムにあった本「はるのゆきだるま」(1983、偕成社)。石鍋芙佐子さんの作品。春を知らずあこがれた雪だるまと、春を待ち望む動物たち。春のおみやげを持ち帰ると約束した動物たちとのお話。 近所の図書館では閉架に入ってしまっていて、、、検索して引っかかってきたからよかったものの。なんで閉架に入っちゃってるんだろう。 el_desviosさんのblog↓http://eldesvios.blog3.fc2.com/ 新潟日報ネタ↓http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-1382.html
先週はまたまた出張やらで更新もblog訪問もskipしていました。やっぱり四月年度初めは忙しいですね。そんなこんなしているうちにGWです。仕事の人もいるし2日足して長めの連休にする人いらっしゃいますよね。私は暦通りの予定ですが、、、。 さて、更新更新。今回のIndonesia出張のお供の本は、穂村弘さんの読書日記である「きっとあの人は眠っているんだよ」。日常の本屋古本屋めぐりの中で出会う本と漫画。お酒を飲みながらの深夜便なので、ぼうっとした頭で読んでも、穂村さんのエッセイの選ばれた言葉のところどころに同意しながら読み進むことができました。インドネシアとは関係がないんですけどちょうど図書館の予約で回ってきたばかりだったので今回の出張の間読んでおりました。 ちょっと先輩の歳なんだねえ、穂村さん。10年前に「短歌の友人」で伊藤整文学賞をとったんですね。この本は我が家にあるな、また読もう。
先週読んでいた本です。久しぶりに林芙美子の作品を手に取りました。この本を手に取ったのは1年ぶりかな。この作品は1931年4月の作品で、「章魚(たこ)の足の天麩羅が食べたい」という娘と、「貧乏なのになぜわからん」という母とのやりとりを読むたびに、尾道で春に章魚を食べたくなります。春、尾道では章魚が旬を迎えます。たこ飯を食べたいなぁ。この作品は中国地方の方言がでていて、そちらに馴染みのある私には親近感がもてる作品です。実は一つ前の話題とこの話は少しつながっています。というのは林芙美子さん眠るお墓があるのが一つまえのお寺なのです。 春になるとこのお寺の花木を思い出し、この春風を感じる作品を読みたくなるのですね。
我が家の子供たちにも親しまれる本。 2月28日にお亡くなりになった松谷みよ子さん。子供の頃から慣れ親しんだ本たちの中にこの人の名前を憶えている方も多い野ではないでしょうか。「ちいさいモモちゃん」を読んだなぁ。疎開先の長野で。坪田譲治に出会って師事したそうな。 今日の娘のnight time storyの一冊はこの本にいたしました。あらためて1951年に発表された「貝になった子ども」を読んでみたいなと思いました。ご冥福をお祈りいたします。
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