鯰絵って見たことありますか。
題名:「しんよし原大なまづゆらひ(由来)」
鯰の話になったので、今回は安政の地震の後の鯰絵の話題。葛飾北斎が世を去ってまもなく、徳川の世も栄光も残照ともいえる時期のことですが、安政2年(1855)、江戸をおそった安政江戸地震(10月2日)は、広く江戸から東北、東海、東山、北陸ほか揺れたようですが、被災した江戸の中でも隅田川のあたりは強い揺れだったようです。その頃、地震は鯰が起すと思われており、この地震直後に売られた鯰絵が上の絵です。
大鯰と小鯰の親子を殴りつける新吉原の遊女たちの図です。釈文に「此なまずめ、うぬがおかげで/百ぜに(銭)お六まいなくして/しまつたそのかハりに/ぶちころしてくつて(喰って)/やるそ」と。新吉原も大きな被害にあったんでしょうね。調べると郭内の死者は1,020余人、遊女は530余人だったそうです。
絵の左上を見ると、その鯰親子を助けにきているのが、地震で儲かった大工・鳶・左官たち。新吉原も地震で被害をうけたもののさっさと仮営業を再開、復興で儲けた人々が戻ってきて、、、と。儲けた連中もみんな仲良く、、、なんて話なんでしょうねぇ。ちなみに新吉原というのは、吉原遊廓は始めは日本橋近く(現在の日本橋人形町)にあったのですが、明暦の大火の後、浅草寺裏の日本堤に移転したため、新しい吉原としたんですね。