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烏有洞+

なんでもない日々となんでもないこと。

鳥取#27 大山の餓讖地蔵

20190804 (353)
おはようございます。今週は少しだけ朝夕に秋の気配を感じるようになってきましたが、昼はまだまだ暑いですね。今日は一日大阪市内なので、汗をかきますね。

さて、今日ももう少し大山ネタです。大山寺の参道を下ったあたりは、江戸時代・徳川吉宗の頃から牛馬市が開かれたそうで博労座として大いに栄えました。この栄えた門前町にはたくさんのお地蔵様がいらっしゃいます。

その一つに、餓讖地蔵(がしんじぞう)がひっそりといらっしゃいます。この地蔵様は天保12年(1842年)に建立されました。この少し前、天保の大飢饉(天保4年から天保10年)がありました。この大飢饉で多くの人たちが餓死しました。この供養のため二度とこのような飢饉が起こりませぬように、との願いがこのお地蔵様には込められています。大塩平八郎の乱の発端もこの飢饉によるものでした。

鳥取の昔話にこの飢饉の様子を語るものがあります。5月になっても田の水に氷がはり、土用になっても綿入れがいり、秋には一粒の米も取れず、飢えて多くの人が死んだ、と。

食品ロスだなんだといったことが話題になる昨今、昔の人たちの切なる思いを伝えるこのお地蔵様を見てなんと思うのでしょうか。

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Category : 中国
Posted by TORU on  | 4 comments  0 trackback

4 Comments

駐在おやじ says...""
そんなことが言い伝わっているんですね。
歴史で習ったので、もちろん名前とそんなことがあったことは知っていますが、
お地蔵さんの事などは全く知りませんでした。
5月になっても 氷が・・・・
当時では どうすることもできないでしょうし 餓死なんて考えただけでもぞっとします。

  駐在おやじ
2019.08.28 12:50 | URL | #- [edit]
ViVid Mr.K says...""
こんにちは。。。
食料が一先ず安定的に供給されるようになったのは本当に最近のことのはずなんですけど、「もったいない」という日本語が泣いていますね。。。
江戸時代も庶民は飢饉でも、お上を始め一部の豪商は飽食だったんでしょうか。。。
食料を大幅に輸入に頼っているこの国において、この状態で大丈夫なのか心配です。。。
お邪魔いたしました。。。
2019.08.28 22:36 | URL | #- [edit]
TORU says..."駐在おやじ 様"
駐在おやじ 様
そうなんですよ。飢饉の話って、東北地方には結構残っている話は聞いていますが、他の地域にも残っているものですね。

> そんなことが言い伝わっているんですね。
> 歴史で習ったので、もちろん名前とそんなことがあったことは知っていますが、
> お地蔵さんの事などは全く知りませんでした。
> 5月になっても 氷が・・・・
> 当時では どうすることもできないでしょうし 餓死なんて考えただけでもぞっとします。
>
>   駐在おやじ
2019.08.29 03:01 | URL | #- [edit]
TORU says..."ViVid Mr.K 様"
ViVid Mr.K 様
そうですね。平成に入ってもH5年(私が大学生の2年の時)、長梅雨で日照不足でコメの作況指数がめちゃめちゃでした。日本全国の作況指数は「著しい不良」の水準となる90を大きく下回って74でした。青森周辺だと作況指数ゼロなんて場所もありました。日本はコメをタイから大量に輸入しましたよね。食料を輸入できなかったとすれば、大混乱、いや飢饉に近い状況だったのではないかと思います。時代が時代なら、、、。

> こんにちは。。。
> 食料が一先ず安定的に供給されるようになったのは本当に最近のことのはずなんですけど、「もったいない」という日本語が泣いていますね。。。
> 江戸時代も庶民は飢饉でも、お上を始め一部の豪商は飽食だったんでしょうか。。。
> 食料を大幅に輸入に頼っているこの国において、この状態で大丈夫なのか心配です。。。
> お邪魔いたしました。。。
2019.08.29 03:07 | URL | #- [edit]

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