鳥取#27 大山の餓讖地蔵
おはようございます。今週は少しだけ朝夕に秋の気配を感じるようになってきましたが、昼はまだまだ暑いですね。今日は一日大阪市内なので、汗をかきますね。
さて、今日ももう少し大山ネタです。大山寺の参道を下ったあたりは、江戸時代・徳川吉宗の頃から牛馬市が開かれたそうで博労座として大いに栄えました。この栄えた門前町にはたくさんのお地蔵様がいらっしゃいます。
その一つに、餓讖地蔵(がしんじぞう)がひっそりといらっしゃいます。この地蔵様は天保12年(1842年)に建立されました。この少し前、天保の大飢饉(天保4年から天保10年)がありました。この大飢饉で多くの人たちが餓死しました。この供養のため二度とこのような飢饉が起こりませぬように、との願いがこのお地蔵様には込められています。大塩平八郎の乱の発端もこの飢饉によるものでした。
鳥取の昔話にこの飢饉の様子を語るものがあります。5月になっても田の水に氷がはり、土用になっても綿入れがいり、秋には一粒の米も取れず、飢えて多くの人が死んだ、と。
食品ロスだなんだといったことが話題になる昨今、昔の人たちの切なる思いを伝えるこのお地蔵様を見てなんと思うのでしょうか。
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