山口#4 中原中也記念館へ
おはようございます。週末は東京で過ごしたのですが、東京は土曜日はみぞれ交じりで寒さが戻り、日曜日は打って変わって気持ちのよい晴天でした。月曜からはもちろん大阪です。皆様は過ごされましたか。
さて山口ネタの続きをやりましょう。新山口からレンタカーで走って20分程度の山口県山口市湯田温泉にむかいました。種田山頭火のシルエットを新山口駅に見てから、今度は中原中也記念館へと。俳句からこんどは短歌・詩へ、といったところでしょうか。湯田温泉は中原中也(1907-1937)の故郷で、その生家跡に1994年に中原中也記念館は建てられました。遺稿や遺品を中心に展示されています。上の写真はエントランスの様子。んー、なんだか新山口駅の建て方と似てるなぁとおもったら同じ宮崎浩氏の設計でした。1994年と2015年の建築が似ていると感じられるのだから、設計って面白いなぁと思いますね。
中原中也は明治40年(1907年)に現在の湯田温泉に生まれました。小学校高学年より短歌を制作し才能を発揮していたそうで、この記念館にも展示がありました。子供の頃の習字も美しく、上手ぁ!と思わず口から言葉が漏れてしまいました。山口から京都に移った後、大正15年(1925年)に上京、小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平ら文学者たちと交わりを持つことになります。
中原中也といえば、翻訳。Arthur Rimbaudアルチュール・ランボーの訳詩集を刊行しています。Rimbaudにかぶれるとねーと思わずにはいられませんが、Rimbaudは多くの文学者によって紹介・翻訳されていますね。明治末期の上田敏、永井荷風、昭和初期の小林秀雄、中原中也、戦後の堀口大學、金子光晴と、、、。クイズダービー(そのTV番組を知らない人は多くなってきたかな)に出ていらっしゃった篠沢秀夫教授も翻訳されていますね。
そして昭和9年(1934年)に第一詩集「山羊の歌」を出版しています。生まれは山頭火の方がずいぶんと早いですが、同時代を生きた人で中原中也は30歳で夭折したのが1937年、山頭火は1940年と近く戦後日本は見ていません。
中原中也記念館の中の石が見えるガラスをはめ込んだデスクに座りながら中原中也の短い人生と濃厚な交友関係を追いかけていました。
中原中也、皆様も学校の教科書なんかでも読んだんじゃないでしょうか?たまには中原中也の詩もいいですよ。