山口#13 朝鮮通信使上陸淹留之地の碑
こんばんは。山口シリーズ、まだあるんですけど、他のネタに行けない(笑)というジレンマもあるんだよな。ちょっと箸休めするかなぁ、なんて思っている今日この頃です。
今日は赤間神宮の目の前の駐車場横、阿弥陀寺公園内にある「朝鮮通信使上陸淹留之地の碑」です。江戸時代の朝鮮通信使のことを顕彰している碑ですね。慶長12年(1607年)から文化8年(1811年)の間に、合計12回朝鮮通信使が来日。最後の1回は対馬どまりでしたけど、それ以外は本土には赤間関つまり今の下関から上陸しています。つまり朝鮮通信使にとってここは本土の玄関口であったといえます。
通信使の滞在・逗留した阿弥陀寺と引接寺(いんじょうじ←読めないね!)では、外来文化に接しようと藩士やら文人が集まったといいます。まぁ当時の人もそうだったのだと思いますが好奇心というものは人を突き動かしますからね。淹留(えんりゅう)とは、滞在することを意味しています。
日韓両国にとってあいかわらず政治的には不遇というか不幸な状態が続いていますが、普通の人々、市井の民にとってはもっと現実的に前向きに隣人と付き合っていきたいものです。碑の書は韓日議連代表の方の書によるところで、まぁ建立趣旨についても韓国側の意図が反映された内容となっていて、違和感もありありですけど、ね。
まぁそんなことは横に置いて、ここ赤間関が本土の玄関口であったということに思いをはせたいと思います。
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