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なんでもない日々となんでもないこと。

鹿児島#13 琉球館跡@鹿児島市内

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こんにちは。鹿児島一人旅の続きです。今朝、沖縄のポークおにぎりネタを想い出したように書き始めたのは、この鹿児島旅で訪れた琉球館跡のentryと繋がっているからなんです。

島津氏は15世紀から16世紀にかけて南九州エリアの支配権を争っていました。島津氏が肝付氏らを破り同エリアの支配権を確立したのは1575年以降であり、そこから江戸幕府成立までの間に港を直轄化し、それまで各氏が独自に琉球と交易をおこなっていたものを独占化していきました。独占化したい富がそこにあったからです。慶長14年1609年にそれまでの薩琉関係の均衡を崩し薩摩は琉球に侵攻、薩摩藩が琉球国を支配しました。薩摩の支配下にはいった琉球は、毎春使節の派遣しその使節は一年間滞在しました。その琉球国王や役人が滞在する館としてこの地に琉球館が建てられました。当初は琉球仮屋と呼ばれていたそうです。琉球館は琉球貿易の取引場所でもあり、薩摩の外交貿易の拠点でした。

琉球を介した貿易は明や清国から生糸・薬種を輸入、逆に中国へは銀、干鮑や昆布などの俵物を輸出していました。これらの独占化した貿易からの水揚げで薩摩の財政は「助かっていた」と言えます。が、薩摩藩の財政はずぶずぶの借金漬けでこの借金と金利を返すのに必死のパッチでした。この財政状態に大変革をもたらしたのが江戸時代後期の調所広郷(1776-1849)です。かのeccentricな経済官僚が薩摩に生まれなければ、明治維新をなすほどの財力はなかったでしょう。その裏には支配される側の筆舌に尽くしがたい苦しみがあります。

調所広郷は琉球館聞役に任ぜられていたこともあり、この場所がいかに重要な場所だったかがわかります。因みに大久保利通の父、利世もこの琉球館に勤めたことがあるそうです。

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Category : 九州沖縄
Posted by TORU on  | 2 comments  0 trackback

2 Comments

el_desvios says...""
いやーTORUさんの食べ物と歴史の話は、まるでポーク玉子おにぎりの
塩味と甘味のような組み合わせで、おなかにすっと落ちていきます。
食べたい・・・
2021.01.30 21:08 | URL | #- [edit]
TORU says..."el_desvios 様"
el_desvios 様
おはようございます。楽しんでいただける方が一人でもいらっしゃればそれは望外の幸せですね。
2021.02.01 07:27 | URL | #- [edit]

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