Saijiki 梅コレ2021#3 色玉垣@京都府立植物園
こんばんは。いやこれがupされる頃には12時を越えて「おはようございます。」になっているでしょうね。
緊急事態宣言の延長が発表され、想像されたこととは言え、東京の自宅に帰れないことや、仕事をやっているうちに8時を過ぎて食事を外でとることもできず、コンビニ弁当が続いたりしてちょっとすり減りますね。まぁ私の場合は、やる気さえ残っていれば料理を作りますのでそのあたりはまだ「まし」だとは思いますが、「料理もままならない単身赴任のおっさん」達は、ほんとどうしているのでしょうかね。
さて、今日の写真はですね、梅コレです。今日の梅は「色玉垣」。別名、飛梅。
東風吹かばにほひをこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな 拾遺和歌集
皆さんよく知っている歌ですよね。ご存じ菅原道真が延喜元年(901)に権力の中心にいたところから失脚し、大宰府に赴任する前に詠んだ歌ですね。まぁ権門たる藤原氏・北家と藤原氏とは血縁関係がない宇多天皇との間でのパワーゲームの中で、菅原道真は学者出身なのに異常なスピード出世していました。宇多天皇は31歳の若さで寛平9年(897)に敦仁親王(13歳)に譲位。
宇多上皇と道真は二人で醍醐天皇を導きつつ藤原氏の排除・天皇親政を目指していた、が結局、菅原道真も藤原氏同様に娘を天皇の子供や皇族に嫁がせており権力の中心たろうとしていたところを藤原時平に足元をすくわれた、といったのが、この大宰府行きの大まかな流れです。
この有名な歌を詠んだ後ですが、菅原道真は摂津から淀川を下り、瀬戸内に出て明石、明石から周防・国府(防府)、そこから豊前国(大分県)に入り関門海峡を経て博多、大宰府に赴いています。
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