鳥取#8 鳥取旅2014-2 翌朝の市内街歩き
1952年(昭和27年)4月17日の鳥取の大火では旧市街地160haを焼きました。ほぼ全焼であったといいます。罹災者2万人死者は3名であったそうです。
この時に袋川の桜も焼けてしまったそうです。袋川の桜は明治38年の日露の戦勝記念と大正4年に天皇即位の祝賀で植えられた桜の堤であったそうですが、鳥取大地震とこの大火によって失われました。つまり堤にある桜は、この大火の後に植えられた桜ということです。
この桜にはこんな物語がありました。大火の9年が経った頃、匿名の方から桜の苗木が市に贈られはじめ、その後も続き800本を越える桜の苗木が贈られました。それらの苗木は袋川の堤や鳥取城址二の丸に植えられたそうです。後に送り主が京都大学の瀬川弥太郎氏であったということが分かりました。
氏は鳥取高等農林学校(現在の鳥取大学農学部)に学んだ方で、同窓会で訪れた鳥取の袋川の桜が大火で焼かれたことを知って苗木を贈り続けたそうです。(大学の大先輩だったんですね)。
鳥取駅から袋川そして鳥取県庁に向けての歩けば、鳥取の懐かしい町並みに出会えます。これら街並みの多くは、この大火の後の街並みなのでしょうね。
このお店は珍しい金庫店。
アーケード街。アーケードの鉄骨の古さが、時の流れを感じさせます。
五臓圓ビル。このビルは大火前から立つ数少ない鉄筋の建物。
在学中は、気にかけてゆっくりと眺めることのなかった風景に、我々の知らないそれぞれの物語があるんだろうと思うことができるようになると、違う姿が見えてきます。これから、この街並みはどんな物語を紡いでいくんでしょうね。それは、そこに住む人が紡ぎだして、古くて新しい風景を作っていくのでしょうね。
ーつづくー
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